詳しいプロフィールに興味を持って頂いて、ありがとうございます。20代から現在までの私の心境をまとめました。人生はあっという間ですね。。。

楽しいはずの大学生活が急変

貿易会社を経営する父親の次男として生まれた私は、1浪はしたけれど希望通りの大学に合格出来て、これからの自分の未来に希望を持っていた。

ところが大学入学と同時に父親が急に製造業もやると言い出して、設備投資をし、兄には知り合いの町工場に修行に行かせ、私には会社のホームページを作成させたり、CAD/CAM(キャド/キャム=PCで図形を描いて、機械で加工する為のプログラムを作成するソフト)を勉強させたりと、大学に行く意味があるのかという生活を送ってましたが、友達も増えてそれなりに充実した毎日を過ごしていました。

しかし大学3年目の春、父親に膀胱ガンが発覚し、生活が一変。これからどうなっていくのかも分からないまま、兄は修行を終え父親の仕事を手伝い、私は父親と営業に出る事もあれば、現場で機械を動かして製品を作る等、本格的に仕事を手伝うようになった。そして毎晩3人でこれからの事を話し合う日々が続いた。

徐々に父親の体もガンに蝕まれ、治療もむなしく2002年の春、私の大学卒業と同時にこの世を去った。そして私と兄は、貿易業と製造業を営む会社の共同代表という形を取り、亡き父の後を引き継ぐ事になった。

借金3億円の会社を引き継ぐ事に

会社を引き継ぐと言っても、ただふんぞり返ってハンコだけ押してれば良いというものでもない。

残されたもの全てを管理し、運営して初めて会社を存続させられるという事だが、残されたもので一番大きくのしかかってくるものが銀行からの借入金だ。借入額は従来からある土地建物の借金に加え、設備投資の借金、合わせて約3億数千万円。製造業は全く軌道に乗っていなかったし、頼みの綱は貿易業。しかし私も兄も立ち上げた製造業にしか手は回らず、貿易業は古くからいる年配の社員に任せるしかなかった。父親に不満を持っていた社員も多く、その人達は当然言う事も聞いてくれないし好き勝手言われる毎日が続く。

悩んだ挙句、事務所を売却し、工場のみを残す等して必要のない資産を売却し、父親に不満を持っていた社員には、言われるがままの退職金を支払ってでも退職してもらい、貿易業も縮小した。当然売り上げは激減し、銀行や周りの人からも、もって数年と思われただろう。私と兄は毎日社員が帰ってからも日が変わるまで仕事をし、時には工場に段ボールを敷いて一夜を明かす事もあった。徐々に得意先も増え、ようやく貿易業に頼らなくても良い位までに会社を立て直す事ができた。

リーマンショックで仕事が激減

しかし会社を存続させるという事はそんなに甘いものでもない。2007年のサブプライム住宅ローン危機を発端に、多分野にわたる資産価格の暴落が起こっていた。そしてリーマン・ブラザーズも例外ではなく多大な損失を抱えており、負債総額、約6000億ドル(約64兆円)という史上最大の倒産により世界連鎖的な金融危機を招いた。

その影響はじわじわと日本の製造業にも影響を与え始め、私の会社も仕事が激減した。縮小した貿易業も全く仕事がなくなり、ついに製造業1本で会社を経営していく事となった。

会社を引き継いで10年目、あえて勝負の設備投資

「お前たちの若さでは銀行と交渉する能力がない」と父親に言われ、ガンと戦いながらも父親は過剰と言われるほどの設備投資を行った。その結果借金は増える事となったが、そのお陰で仕事が増えても対応できる体制が既に整っていたのは事実である。しかし多くの企業が生産拠点を中国に移し始め、厳しい価格競争を強いられるようになってきた。その上設備投資した機械も古さゆえのスペックで、今の設備で会社を経営していく事に限界を感じ始めるようになった。

「まだ1億円以上の借金が残っているにも関わらず、新たな設備投資する事が価格競争に打ち勝つ打開策となるのか?」「更なる事業縮小と資産の売却で細々とやっていくのが正解なのか?」と、かなり悩んだが、ここを乗り越えないと父親を越えられないと思い、銀行と交渉を進め、新たに8千万円の借金をして勝負に出た。

そしてスマートフォンの普及に伴いグーグルのサービスも多様化し始めた頃、私はグーグルクラウドに注目した。クラウドを使う事により、経験の浅い社員にも経験を積んだ職人の知識を共有出来るのではないかと考えた結果、加工条件や加工技術をデータベース化し、社員全員と共有できる環境を整えた。そして勝負に出て投資した機械は、新たに医療分野の仕事も獲得出来る程の素晴らしい結果をもたらす事となり、危機を乗り越える事が出来た。

気が付けば40歳を迎える

父親から最初に与えられた仕事は、ホームページの作成だ。父親や社員から仕事内容やサイト構成の希望を聞き、分からない事は本屋で立ち読みし、その時に初めて学んだHTMLという言語。分からないなりにも自分の力で1つのホームページを完成させた。そういった作業が楽しかったのか、父親の仕事を手伝いながらも、将来はプログラマーになりたいと思うようになっていた。しかし現実は大学卒業と同時に父親の会社を兄と2人で引き継ぎ、借金を返済するという事。がむしゃらに仕事をしてきて、気が付けば2018年で40歳になる。

「過去を振り返ってみてどうなんだろう?今までしてきた事は大学生の時に思い描いていた事なのだろうか?」と自分に問うてみる。

「図面を見て効率よく加工出来る段取りを考え、プログラムを作る」「会社のシステムを見直し、経営の安定化を図る」

大学生の頃にイメージしてたものとは違うけれど、大体出来ているのかなと思える。

しかし出来ていない事が1つある。それは「全くのゼロから始めたものではない」という事だ。父親が経験した、「ゼロから会社を立ち上げる」という事を経験しないまま自分の人生を終える事となるのか?そう思うと急に不安な気持ちに襲われてしまう。

これからの未来へ

製造業に夢を見た父親と一緒に仕事が出来たのは僅か数年間だが、その後十数年間、兄と二人で父親の夢を守ってきた。今では取引先も増え、社員も自分達で考えて行動出来るようになってきた。少しではあるが私自身の時間も取れるようになった今、もう一度大学生の頃に思い描いていた「これからの未来」をスタートさせるべく、このブログを立ち上げた次第です。

最後まで読んで下さってありがとうございました。

2018年1月1日 mingjia